apple礼賛

appleは衰退するなどという無責任なことを書いた後にすぐ、appleを絶賛する人を見かけた(もちろんウェブで)。そしてあらためて感じたのは、appleが好きな人のapple礼賛ぶりの熱烈さである。でも、パソコンとかミュージックプレイヤーなどというものは料理で言えば皿などの器のようなものである。食事をご馳走になった後に、ひたすら「このお皿はいいですねえ。料理が引き立ちますねぇ、この模様がすばらしいですねぇ・・・、このナイフの切れ味とフォークの刺し易さには驚嘆します」などと料理について何もいわずに食器ばかりほめたら料理を作った人はガッカリするだろう。

わたしだって電球を発明したエジソンの業績はすばらしいと思う。蓄音機も、CDも、MDも、MP3も、インターネットも、FAXも、メールも、みんなすばらしい技術である。でも、appleを礼賛する人は、ブログを書いても音楽を聴いてもゲームをしても何をしても、「Macはいいな」「appleはいいな」と言っているような印象がある。それだけならいいが、たいていWindows否定がデザートのように追加される。

先ほど書いた閉鎖性ということについても、要するにナルシシズムであって、ハードウェアからソフトウェアそしてついにはコンテンツ売買までもappleで独占して悦にいっているのである。愛好者にしてみればこんなに気持ちのよいことはないであろう。しかし、そんなものは独裁者の築いた孤立した楽園のようなものである。そういう楽園を築き維持するためにはたいてい多数の犠牲者が存在しているものである。