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2005/04/14

CCNAの失効迫る

CCNAに受かって1年半。来年の夏に失効する。ルーターを触る仕事を始めたので、せっかくだから次のステップへ進むことにした。CCNAの次はCCNPというのが当然のようになっているが、試験項目を見るとスイッチングやリモートアクセスなど、縁の無いものがあって乗り気がしない。と、CCIPというのもあって、そこにはQOS、MPLS、BGPと、なんか縁のありそうな科目が並んでいて、こっちならいけそうだ、しめしめ、と思ったら、BSCI以外は日本語未対応だった・・・。まぁ、CISCOを勉強するなら、英語の方が実は早いんじゃないかという気もするが・・・やっぱり英語の参考書を読み、英語の問題を読んでとくのは大変だろうな・・・

さて何を受けるにしても実機操作なしではお話にならない。職場ではCISCOはさわれないし・・・。しかし最低2台、できれば3台ほしい。NAのときは1601と2503と3600?の三台だったが、なんだかピリッとしない組み合わせである。ここらで一丁、2600を1台買って、あと2500シリーズを2台くらい買って、そうなったらラックなんかも買ったりして、そうなるともう、部屋かりてそこマシンルームにしちゃったりして、そうなるともう、そこ人に貸して商売しちゃったりなんかして・・・

なんか、CCNA更新に逃げることも考える。NPって、正直言って自分のキャリアともスキルとも無縁だし。新しいNAはOSPFも範囲に入り、シミュレーション等も難しくなっているらしいし、NA更新できれば上等じゃない?となれば、Ultimate Network Visualizer 4.0とかいうのを買ってごまかすこともできそうだ。金がないのさ、とにかく、今は。5月までは。人生最大の危機といってもいいくらいなんだ!

これはCCNAをとった後から感じていたことなのだが、最近アタマに情報が入ってこない。日経ネットワークの購読を再開したが、興味を惹かれることがほとんどなく、ぱーっと走り読みしてしまう。いや、読んでいない、眺めてるだけだ。JAVAとか.netとかLONGHORNとかLinuxとか、中途半端にかじってきたけど、もう、どれもこれも、意欲が飽和してしまった。アタマがいっぱいとか疲れているとかというのもあるかもしれないが、私はそれよりも、基礎固めをせずに無理やりつっこんだことに原因があると見ている。

30歳をすぎると、人は体力や知力の衰えを口にするようになる。白髪とか、腹が出るとか、結婚するとか、親が死ぬとかそういうことが起こってきて、今までのようにがむしゃらに生きていくことができなくなってくる。そして、もう新しいことに挑むとか新分野を開拓するとか言う意欲を失うようになってくる・・・と。しかしわたしはこれは年齢のせいでは、肉体の衰えのせいではないと考える。

どんなことでも、実現するには時間がかかる。家を建てるにしろ、生物が誕生・成長するにしろ、気候の変化、景気、政治。また音楽も演劇も。絵画は時間ではなく空間を必要とするが、これは時間とおなじような枠組みといえる。たとえば、沼地に家を建てたとしよう。3ヵ月後に傾いたら、これは時間がたったことが原因だろうか?違う。沼地に立てたことが原因である。最近は野球選手でも40歳を超えて現役でいることがめずらしくない。特にメジャーリーグなどでは。30半ばで引退してしまう選手もいる。その違いの主因は節制とトレーニングであろう。30半ばで引退することになったのはトシだからではなく若いころの不摂生のせいだ。

同様のことが、俗に言う体力がなくなったアタマが硬くなった物忘れがひどくなった、という愚痴についてもいえる。サラリーマンの日常生活などというものは、非常に限られた能力しか使わないものである。体力にしても、知識にしても。必要なことは退屈に耐えること、見知らぬ人間にほほえんだり謝ったり仲良くしたりすること、理不尽なこと、納得できないことでも我慢すること、せいぜいそんなことができればよいはずだ。

私の持っている、譲れない職業観は、「生きるためにしかたなく働く」というものである。スーパースターと言われるような人々はこれにはあてはまらない。イチローが打って走って投げていることは、直接には何の経済的な効果を生まないが、コンビニで100円のパンを売ることは非常にかすかではあるが直接の経済効果を生む。ただしイチローのプレイはそれをショーとすることによって莫大な経済効果を生む。それだから彼は何億という年俸を得る。勘違いしてはいけないのは、イチローが高給とりなのは、優秀な選手だからではない。野球選手の場合はほとんどが優秀な選手=高給とりであるが、いわゆる「人気」というものも影響する。職業が生活のために、極端に言えば「いやいや」遂行されるものであるのともうひとつ、その人の行為がすぐれているから大きな報酬を得るわけではない、というのも重要なことである。

またサラリーマンに話を戻すと、給料の増減は個人の能力よりも会社の業績に左右される。さらに、会社の業績も景気や外為などによって大きく左右する。株価と言うものもほとんど根拠のないものである。よいモノを作れば売れるわけでもなく、かえって品質がよすぎると損失になる。商売の目的は相手の幸福ではなく自分の利益であって、相手の、客の幸福を求めるのは自分の利益を願うがためのことにすぎない。お客様の笑顔が何よりの喜びです、というのも、赤字覚悟でサービスします、というのも、最終的には自分が儲けたいがためである。

誤解してほしくないのだが、私はそういう動機が不純であるから商売など罪悪である、と考えているわけではない。ただし、職業が尊いものである、働くことによって人間は高められる、働くことで人間になる、などという考えには賛成できない。働くこと自体は人を消耗させる。ただし、何度もいうがその消耗も自分のためである。自分が食料なり住居なりを獲得せんがために、消耗するのであってそれはやはり利己心なのである。それは扶養家族がいても同じことである。妻や子を養っているからといって、その人の労働の尊さが増すものではない。妻や子を誰かから与えられてそれを養うことを命じられたと言うなら話は別だが。

働くことを正当化するときにもうひとつよく言われるのが、「社会に貢献する」ということであるが、これもまったく嘘である。社会に貢献するよりもむしろ、社会を食って生活するのが労働者である。貢献などと言う考えは毛頭ない。日本人には金儲けを悪徳とする考えが根強く、それが世界に遅れをとっている原因だと言う意見を聞いたことがある。しかしそれも次第に薄れつつある。共産主義のいきづまりによって、人は金儲けに対する罪悪感をほとんど感じなくなった。金儲けはいいことだ、と自分に言い聞かせるようにして毎朝出勤していく。

「資本主義」というのは誰かが発明したものではなく、人間が金儲けをすることの後ろめたさを弁解するための大義名分である。自分の欲望にしたがって行動すれば、それが社会を発展させることになる、社会の発展に貢献しない行為は淘汰されて結局自分が損をすることになるから、人は犯罪も犯さないようになる。しごく単純な論理であるがもちろんこんな単純なことがまかり通るなら苦労はしない。まさに「スイマセンで済んだら警察いらない」である。

スイマセン、話がそれるにも程がありませんか

えっと、BSCIをとれば再認定になります。

そりゃそうだわな。CCNPとらなきゃ駄目なんて、きつすぎるよ。