IT関連資格については、企業は報奨金を出すなどして奨励するが、現場のエンジニアには不要論も多い。特にベンダー系資格と呼ばれるMS、シスコ、オラクル等の諸資格については、ベンダーの利益にしかならないと、否定的な意見が強い。
これらの資格は免許ではないから取得しないとSEになれないわけではない。資格対策のための参考書や問題集も多数出版されている。試験はコンピュータを使用した選択式が主である。資格制度が始まった頃は難易度も低く、同じ問題が何度も出題されるようなこともあって、受験者が覚えてきた問題を社内で共有するなどのことがおこなわれた。私もそれで合格した。
確かにたいした資格ではなかった。しかし次第に難易度は高くなって、単なる暗記では解けないような問題になった。資格を取るということは、新しい知識を学ぶというよりも、知識に枠を設けて、ある範囲外の知識を切り捨てることを意味する。これは資格試験に限らず、学習ということ全般について言えるかもしれない。
たとえばMCPのWindowsXPであれば、MCPの出題範囲よりも深い知識を持っている人は大勢いるだろう。レジストリのどのキーをどうすればどうなるとか、ドキュメント化されていないショートカットキーとか、その他もろもろの実用的なTIPSを知っている人は、MCP取得者よりも優秀で、有用である。資格不要論者はそのことを言っている。
しかし、そのような実務的な人材というのは、経験だけによって知識と技術を習得しているのである。彼らが有用なエンジニアとなるためには、膨大な時間と不毛な作業が必要だったはずである。それは、たしかに一人の人間としては必要で賞賛されるべきことかもしれないが、職業として、サービスとして技術を提供するという観点では、顧客を利用してエンジニアを育てたということになってしまう。
そして経験だけで積んだ知識には偏りがあり、現状に依存して楽をする発想が根付いてしまう。知識習得には限りが無い。インターネットについて言えば、RFCをすべて丸暗記すれば怖いものなしであろうが、そんなことは不可能である。私はOSPFについてなかなかとっつきにくかったのでRFC2328を翻訳しようとした。それはいい経験にはなったがもしそれを最後までやり遂げるのはとんでもない遠回りとなったであろう。