qwerty配列が実は文字入力を遅くするための配列である、と言う話を私は最近まで信じていた。確か、坂村健の書いた、痛快!コンピュータ学とかいう本で知ったと記憶している。
しかし、それは嘘であるらしい。U先生がその話を紹介したところ、それについて研究している人がそうじゃないんだと抗議した。
私はU先生がその話を披露したときにはすでに、それは嘘だと知っていた。誰の話だかは忘れたが。読者の多いブログなのですぐに指摘はあるだろうと思ったらすぐにU先生も訂正して抗議のメールを公開していた。
だが、そのメールの文面が非常に攻撃的で「なんでデタラメな話を流布して私の研究を邪魔するのか」というようなヒステリックな内容なのがちょっと気になった。そのヒステリックさは最近何度かあった、I氏によるU先生への批判の調子に似ている。
そして、先ほどそのU先生の記事をたまたま読み返していて、再度疑問がわいた。それが嘘なら、QWERTY配列は、最善の効率を求めて作られたが結果としてそうならなかった配列なのか?それとも、とりたてて理由は無いがなんとなく並べられた配列なのか、という疑問である。
検索してみたら、同じような疑問を抱いている人がいた。もう慣れてしまったので、この配列がいいのか悪いのかはわからない。q,z,xなどが端っこにあるのは使用頻度が少ないためではないかと思う。しかし、ではホームポジションにあるf,jはそんなに頻度が高い文字だろうか?
qwerty配列はたまたま標準になったのか、優れた配置だったためになるべくして標準となったのか。
多分、前者だと思う。多分、わざと速くタイプできないようにしたとまではいかないまでも、それほど厳密に効率を求めた配列ではなかった、というところだろう。
そもそも、この配列を作った頃にはタイピストは両手でタイプなどしていなかったらしい。最初はアルファベット順に二列に並べていたらしい。それから母音のキーを移動させたりして今の配列になった。
dvorak配列は、使った人によると確かにタイプしやすいらしく、高速タイプのギネス記録保持者も使っているそうである。qwertyが普及したのはやはりたまたまであって「もっとも効率のよいキーボードだったからではない」というのはやっぱり真実なのだ。
そこそこのものでさえあればたとえ最善ではなくても、利用者が多いものが普及して標準となる。その方が重要なことであって、「わざと効率を悪くしたなどと言うのはウソだ」などというのは、そんなに必死になって、本を書いてまで、主張するようなことでもない。
・・・オトナだろ?俺。