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2008/07/13

オープンソース

トランジスタ技術でUSBを使って制御プログラミングをするキットがついているとスラッシュドットで紹介されていて、買ってみた。

やっぱり「コンピューター」の醍醐味とはプログラマブルであること、そしてあらゆる情報をデジタル信号として高速に処理することである。

そういう意味で、外部の機器を制御するプログラミングこそが、もっともコンピューターを使用して楽しいことだと思う。

組み込まれた同じことしかしないのではなく、自分で好きなように改造できるようなものだ。改造というと不満足なところをちょこちょこいじるというイメージだが、プログラミングというのはそれ以上で、全く誰も考え付かないようなことをコンピュータにやらせるという、そういう喜びである。

だから私は、そういう可能性を閉ざすようなソフトウェアやインタフェースを憎む。

Windowsは毎日のようにアップデートをおこなって、ユーザーがいったん手に入れたソフトウェアを育て上げてくれる。

これは意地悪な見方をすると未完成の商品を売りつけて後からそれを直しているということになるが、考えようによってはより高機能、高品質な製品に育ててくれるという、普通の家電製品などでは考えられない素晴らしいことである。

ビルゲイツは、プログラミングに魅せられ、コンピュータを一部の技術者だけでなく万人に開放してそのプログラミングの楽しみを教えてくれた。初期のDOSは起動するとBASICインタープリタが起動したのだが、それも、コンピュータとはプログラミングするものだ、という思想の現れである。

でも、LinuxのようにOSをオープンにするのはどうかと思う。

そういうものをプログラミングしたい人も、いないことはないだろうが、多分多くの人はもっと具体的なもの、たとえばグラフィックなりサウンドなり、数字なり、光なり温度なり、そういうものを加工したりジェネレートしたいはずだ。

OSはそのための基盤として、ひっそりとしかし堅固に存在していて欲しい。日々のアップデートをおこなうのはプログラマブルな装置としておおいにやってほしいが、ソースまでをユーザになおさせるのはカンベン。